| 番外編2: 屋久島歩記 05' |
![]() 水の島 屋久島歩記おまけ 温かい黒潮がもたらす雨に恵まれ、豊かな森に包まれた屋久島は、水の島でもある。海上にそそりたつ 山のような島に長大な河川はないが、いくつかの川が複雑に大地を削り谷を刻んでいる。そして、それが またこの島の魅力のひとつとなっている。谷は山を歩く以上に険しく、そう簡単には踏み込むことができ ないけれど、白谷雲水峡や屋久杉ランド、そして小杉谷でも、その片鱗に触れることはできる。白い花崗 岩が谷を明るくし、それとは対照的な森の濃い緑色が一層際立つ。その谷間を流れる水も、また清冽だ。 そして、その水は谷を流れ下って、海へとそそぎ込む。残念ながら海の中を表現する技術を僕はまだ手に 入れていないのだが、屋久島の海の中もまた個性的で魅力溢れる世界だ。それがあるのも、豊かな緑に覆 われた島があるからだろう。そして、海の水の何%かは、再び雲となり雨となって島へ降りそそぐはず… 海と森との繋がり…それを最も単純に感じることができるのも、それぞれがしっかりと「輝き」を放って いる屋久島ならでは、なのかもしれない。
![]() 写真左上:屋久杉ランドの中を流れる渓流 写真右上:日本の滝百選のひとつで落差○メートルの大川(おおこ)の滝 写真左下:知る人ぞ知る展望名所・松峰大橋からみた安房川 写真右下:ウミガメ産卵上陸数日本一を誇る永田いなか浜 *屋久島の海と山の情報は、リンクページでも紹介している「屋久島海案内」と「屋久島森案内」も併せてご覧ください。 |
“静”命力の溢れる島・後編巨木は、屋久島の“静”の生命力を感じさせてくれる 存在だ。でも、それだけでは屋久島の森で感じる生命力 をすべて語ることはできない。それは、私たちが屋久島 の森で最も目にするものが、長年を生きのびた巨木では なく、過去に伐採された切り株や寿命を終えてしまった 倒木。そして、そこから新たに伸びている新しい世代の 木々だからだろう。実は一般の人々が抱いているイメー ジとは違って、屋久島の森はけっして原生林などではな く、昔から人の手が入ってきた森だ。だから、古い切り 株や運び出されなかった倒木が森のあちこちに見受けら れる。切り株といっても、どれも直径が1Eを雄に越え るものばかり。古いものは内側が洞になり、樹脂を多く 含んだ樹皮の部分だけになっていたりする。もちろん、 もうはるか昔に生命を失ったものだけれど、その存在感 は巨木に勝るとも劣らない。それに確かに1つの植物と しての命は尽きているけれど、森というパズルの1つの ピースとしての役割、「命」はまだ尽きていない。 生きている木だろうが死んでいる木だろうが、苔は何でも 覆い、包み込んでいく。苔の美しさを楽しみたいなら、や はり初夏の頃が瑞々しく色鮮やかで最適のはず。
![]() 人が何人も入れるような大きな切り株の洞もあるば、まるでタコの足のように伸ばした根で立ち上がる木もある。 白谷雲水峡は古くから伐採が進められた場所で、古くて大きな切り株をいくつも見ることができる。 「黒潮の中にそそりたつ山」の屋久島では、常に雲が湧いている。雨が多く水が豊富で、湿度も高いか ら、森の中には苔がよく育っている。でも、けっして雰囲気は陰鬱ではない。苔の明るい緑色は目に優 しく、手で触れるとふっくら柔らかくて気持ちいい。そんな苔に覆われた切り株や倒木は、新しい役割、 命を得て“生き続ける”。それが、次世代の木々が育つための「苗床」としての役割だ。
![]() 木が切られたり倒れた場所にはギャップ(空間)ができ、よく陽が射し込んで次世代の若木が育ちやすい。 また、苔生した倒木や切り株は水分が豊富で害虫もつきにくい。木々の種子は、地面でも倒木の苔の上でも 同じように発芽するが、その後に生長できる若木の数は倒木の苔の上に生えた方がずっと多いという。
切り株や倒木の苗床から育った木は地面を目指して根を伸ばし、やがて苗床を覆い尽くす。森の中では、 それらの力強い根をそこここで見ることができるし、 中には年月を経て苗床が朽ち落ち、根が足のように立 ち上がった木まである。この森では、今生ている木と すでに命を失った木が、ひとつに絡み合う。生と死と の境界は、なんだかとても曖昧だ。森の中を歩いてみ て、最もその“静”の生命力を感じるのは、巨木より もむしろこの曖昧さなのだと思う。陳腐な表現をすれ ば「輪廻」とでも言うのだろうか。ひとつの植物体と しては命果てても森として生き続ける。これは何も屋 久島に限らず近所の裏山でも起きていることなのだけ れど、そのことを目に見える形で、わかりやすく示し てくれているのが、この屋久島の森なのだと思う。も っとも、それはこちらが勝手に思っていることで「わ かりやすく」とかそんな意図も意思も屋久島の森には ないのだろうけれど…。 屋久島の森を歩くと、もちろん体力的には疲れるけ れど、少し元気をもらったような気分になる。それは 森に満ちている生命力のおかげなのかもしれない。 三世代の木の若木が伸び始めていた。逆光で画像内にフレア が入ってしまい、本当なら失敗写真なのだけれど、意外に絵 になっていたので載せてみた。狙った訳ではなく結果オーラ イの写真だ。 |
“静”命力の溢れる島・前編11 月中旬、4年ぶりに屋久島へ行って来た。沖縄 の西表島ほどではないものの、この島とのつき合いも 長い。初めて訪れたのは世界遺産に登録される前だか ら、十数年も前になる。6回目の訪島となった今回は、 両親を連れて3泊4日の旅行だ。よい歳になってしま った両親に屋久島の森を歩かせられるのは、さすがに ここ数年が最後のチャンスだろうと、以前から考えて いたのだ。とは言っても、もちろん縄文杉など訪れら れるはずもなく、「入門コース」の白谷雲水峡と観光 コースの定番・屋久杉ランドをできるだけ歩かせる… という計画。結果を言ってしまえば、道中不安に感じ るところがあったものの、そこそこのコースを無事歩 き通すことができ、本人たちも楽しんでいたようだっ た。めでたしめでたし。 それはさておき、この島には多くの人たちが訪れ、 そして魅せられて帰っていく。自分をはじめ再びこの 島を訪れる人もやはり多い。日本で初めての世界自然 遺産の島だから…という理由もあるだろう。だけど、 もちろんそれだけではありようがない。多くの人を惹 きつける屋久島の魅力って、いったい何なのだろう? その答えの1つは、この島に溢れる生命力が私たちを 惹きつけるのではないだろうかと思う。 森のそこここに、それなりの存在感を湛えた大木が棲む。
![]() ある木は苔生し、ある木は捻れ歪み、またある木は割れ目をも生じている。それでもなお力強く四方に枝を張り 空に向けて聳えている。その1本1本がみな個性的だ。それぞれに‘顔’があると言ってもいいかもしれない。 自然が豊かな場所ならば、当然のことながらそこは生命力が溢れている。ただ、その場所ごとに個性と いえるものがあると思う。たとえば亜熱帯の島・西表島が生き物の匂いを感じる“動”の生命力溢れる島 だとすれば、この屋久島は植物たちの物静かだが力強い“静”の生命力が溢れる島と言えるだろう。それ は五感を激しく刺激するものではないけれど、森を歩くにつれてずしりと体に染み込んでくる…。 そんな感じのものだ。
![]() 大地や岩、倒木の上をうねり、伸びる根にも力強さをとても感じる。木々が苔の上に着生して育つことの多い屋 久島では、このような根もあちこちで見かける。右のヒメシャラの根は何やらセクシーさまで感じさせてくれる。
その生命力を最も端的に感じさせてくれるのが、森の中に佇む屋久杉や栂の巨木だろう。屋久島は豊かな森の イメージが強いのに、実際は表土が薄く栄養に乏しい花 崗岩質の土壌で、植物が育つには厳しい環境らしい。ま た島は台風の通り道にもあるから、毎年何度も激しい風 雨に晒されてしまう。でも、そんな厳しい環境だからこ そ、このような巨木の森が生まれたのだという。1年に ほんのわずかしか生長できないけれど、幹を太くし風雨 にねじ曲げられても堪え忍んできた木々が、何十年、何 百年、そして千年を越える時を経て、今私たちの目の前 にある。ずしりと感じるのはその時間の重みその時間を 過ごしてきた命の重みだ。その圧倒的な存在感。人間を ちっぽけだ…なんて言いたくはないけれど、さすがに敵 わない。しかし、感じるのはもちろん敗北感などではな く何とも心地よい清々しさだ。 その感覚を味わいたいのなら、できる限り歩くことを お薦めする。何もわざわざ縄文杉まで行く必要なんてな い。入門コースの白谷雲水峡や観光コースの屋久杉ラン ドでも十分。ただ、できる限り多く、できる限り奥まで 歩くといい。それだけでも、数々の巨木たちとの出会い が待っているはずだ。 21.5 E、胸高周囲 8.0E。このような巨木は木材として 不適とされたため伐採を免れて残っている貴重な存在だ。 |